バイクも恋も同じ

Mixiの某コミュに書込みをした関係で、このBlogの教習中の日記を読み返してみた。

・・・ホンット、よく免許とれたなぁ・・・

というか、よく頑張りつづけられたよなぁ。バイクの音をきけば体が凍りつき、後ろに乗せてもらえば口からエクトプラズムでそうになり、バイク怖い、バイク嫌い、って思ってたのに。怖い、嫌い、といいながらいつのまにバイク好きになっていったんだろう。

家族にカミングアウトして、反対されて、車の運転がまともにできるようになるまでバイクには乗せないって言われていた頃、免許をとった高揚感、達成感が冷めたら、バイク乗れなくてもいいかなって思うようになるんじゃないかと、実はちょっと怖かった。

ただ与えられた課題をクリアするのに夢中になっていただけ、「こんなに苦手なことにチャレンジする自分」に酔ってただけなんじゃないか。で、実はバイクのことそんなに好きじゃないんじゃないかって。

だから、「そんなに待てない、とにかく自車両が欲しい!早く自分のものにしてしまいたい!」って言ってたわけだけど。

その後家族のスタンスが変わって「何が何でもダメ。一生ダメ。」という立場になってからは、手の届く近い将来に乗ることはできなさそうだけれど、でも今できることをできるだけやって、いつか絶対家族に認めさせてやる、と思うようになった。ここにきてようやく、自分が「バイク好きだ〜」って思ってる気持ちに自信が持てるようになったような気がする。

家族の反対を押し切って乗る
とか
家族にだまってこっそり乗る
というのは可能かもしれないけれど

でも本当に好きなものだし、一方で家族に貰った体を危険に晒すことになるものだし、そういうことはしたくない。だからこそ免許とる寸前にカミングアウトしたわけで。

ふと思ったんだけれど、私がそうやって(反対を押し切ってorこっそり)バイクに乗るということは、家族が交際に反対している男性と、目先どうしてもその人と一緒にいたいから駈落ちしちゃうようなものだよね。

「もうオトナなんだから自分の責任でその人と一緒にいるのは勝手、家族が心配した通り自分が傷つくことになったら家族にも迷惑かけるけど結局一番つらいのは自分」
といえないことはない。

だけど、それと引き換えに、家族がその相手を一生敵視して、家族として受け入れなくなってしまう。家族も大好き、恋人も大好きだからこそそれはやっぱり悲しいこと。

時間をかけてその人のよさを分かってもらうとともに、自分のその人への気持ちが一過性のものじゃないということ、その人のためならどんな不自由も我慢できるし頑張れる、っていうことを、努力して家族に認めてもらいたい。最後認められなければ仕方ないけど、その努力を放棄したくはない。

諸手をあげて賛成してくれることはなくても、その人といると私は幸せになれて、それは他の人では代用がきかないということを分かってもらえて、「あなたの気持ちはわかったから自分の責任で好きにしなさい」っていって認めてもらえる日まで頑張りたい。