03/15(土)HMS貸切@桶川


某自動車教習所にて、初めてCB400の下敷きになったあの日から2年半。
このブログの軌跡をたどると、ペーパーライダーのくせに、実はこんなに長い間バイクに乗らなかったのは初めてだということが判明しました。


というわけで、01/12に分不相応なハイサイドもどきでふっとんでから2ヶ月と3日。当時と身に着けているもので同じものは靴下だけ、というぶらんにゅー装備に身を包んだ姿で復活。


「また転んだら次はないわよ」という家族の暖かい声援に見送られ、3泊4日雪山にいけるHEADのホイールつきバッグをライディングギアでいっぱいにして、桶川の地に戻ってまいりました。


前フリはこれくらいにして。
この日のHMSは貸切。当初はバランス1stや平日初級で徐々に復帰していく予定だったのを、いきなり赤:青:緑=6:3:1くらいの割合のメンバーで構成される貸切で復帰するのはどうなのかと悩みましたが、怖いもの知らずで顔見知りもほとんどいない中飛び込んだ初参加の1年前と違って顔見知りの方も増え、リラックスして走らせていただけるという環境が決め手になり、参加させていただくことにしました。


ぎりぎり数日前に回ってきた貸切のキャンセル待ち、当然希望車両に乗れる可能性は薄く、今までCB400に乗れなかったことなどないのですが当日はバラ1とレディースが併催ということで、CB400Super Fourが売り切れ。乗ったことがあるが支えられるかどうかわからないCB750と、乗ったことがないVTR250とどちらかにするか迷っていましたが、車両点検の段になってバックミラーつきでオドメーターも数キロしか走っていないCB400をイントラさんが提供してくださって、慣れたCB400に乗れることになりました。


しかし。車庫前から胸を高鳴らせて慣熟走行に向かおうとするも、スタンドをかけたままだとかかっていたエンジンが、スタンドを払った途端にまったく鳴りをひそめてしまいます。最後の1台だとわかっていたので涙目でイントラさんたちに救済をお願いしますが、結局ダメ。「あーエンジン死んでるねー」とS田イントラの無常な一言。放心状態になっていたところ、事務所から鍵を持ってきていただいてもう1台残っていた本当に最後の最後の1台のCB400に乗ることができました。


しかし他の皆様はここにいたるまで飽きるほど慣熟走行をして待っていてくださったのですが、自分は2ヶ月ぶりに乗るというのに1mも慣熟走行をすることなくコースへ。


コース上での慣熟走行とブレーキング練習の間も、ライディングシューズからブーツにはきかえてシフトペダルもリアブレーキがどこにあるかもわからず、革パンをはけばニーグリップが決まるときいていたのにシートの上でお尻はすべりまくり膝は開いてしまい、視界はジェットの頃の2割くらいしかなく、ハイウエストの革パンと鎧に上半身を万力のように挟まれて自分がどんな姿勢で走っているかも分からず、泣きそうになります。


そして、午前のコースは市街地と新コースをつないだコース。市街地内は制限パイロンもなくゆるやかですが、新コース部分は定常円あり、狭いオフセットあり、長い直線のあとのUターンあり、自分からハンドルを切っていかなくては通れない狭いセクションあり・・・とオーソドックスな課題が万遍なく盛り込まれています。


自分、こんなに走れなかったっけなぁ・・・


とるものとりあえずコーススラロームを走ってみて、最初の感想はそんな大それたものでした。そら二ヶ月の間に自分の記憶は頭と体で美化されているかもしれないけれど、それにしてもあまりに不甲斐なく、怪我をした自分が許せず、悔しい、悔しい、という思いでいっぱいでした。2ヶ月の間に成長しないだけではなく退化もするという当たり前のことが痛感されて呆然。


元から出来なかったのか、勘が鈍っていて出来ないのか、怖くて出来ないのか、痛くてできないのか自分でもわからないことでより焦燥感が増します。


痛みと恐怖感についてですが・・・。


リハビリと並行しながらのバイク復帰でしたが、痛みは、走っている途中は無我夢中でほとんど感じませんでした。


恐怖感は、予想以上にありました。こんなに怖いと感じるとは予想しておらず、びっくりしてしまいました。


自分がどういう環境でどんな操作をして転んだのかしっかり記憶が残っているのだから、あんなことさえしなければ恐怖はないはず、と思っていたのに、アクセルもブレーキもバンクもすべてが怖い。「アクセルを戻してタイヤがグリップを取り戻し、制御不能になった」記憶が最後のものなので、バイクに乗るまではその印象ばかりが頭に残っていたのですが、その前の、「小さい回転半径で深くバンクしたところからぱかーんとアクセルをあけたせいでタイヤの接地感が突然消えてすごい勢いで空転した」その記憶が、乗った瞬間によみがえってきました。


傾けることがまずできないし、傾けたところからアクセルで車体を起こすことは体が拒否するし、したがって完全に体でバイクを起こしてからアクセルを空けるため、アクセルを開けている時間が短くブレーキもほとんど使えず、小さく回ることもできない、という悪循環。


当時の視界や体の感覚はおぼろげにあって、パイロンがここに見えたらこうやって力を抜いてハンドルを投げ出してバイクを傾けて、という意識はあるのに、傾けた瞬間に恐怖を感じて足をついてしまう。もちろんその前に、アクセルが全然開いていないので所詮足を出さなくては支えられないのですが。


定常円も怖い。傾けずに走るにはどうすればいいか必死に考えて、I塚イントラから以前、車体を傾けてシートの真上に乗ってそれに体を預けるだけではなくて、ターンの内側のお尻に過重するともっといいですよ、と言われたことを思い出して、ほとんどバイクを傾けずにそうやって走っていたように思います。


あまりにも何もかもが思い通りに行かない中で、考えていたのは、復帰する前に諸先輩方からいただいたアドバイス
「恐怖や痛みは必ずある。それは当たり前だけれどまずいのは、恐怖感や、痛む患部をかばう気持ちからフォームを崩してしまうこと」
を思い出し、とにかく頭を上下させたり腕を突っ張ったり背中を反らせたり顎を上げたりしないように上半身だけはフォームを保とうということ。


午前中はそれしか考えられなかったのですが、それでもごくオーソドックスな課題が満遍なく盛り込まれたレイアウトを走っているうちにアクセルをあける、ブレーキをかける、バイクを傾ける、大きなカーブ、小さなターン、アクセルを一定にしてリアブレーキで調整する、そんなことを少しずつ思い出してきました。


午後は、いかにも貸切らしい、原型をとどめないバリアブル。自分を含めコースをおぼえられない人が多く、覚えても通れない私のような人間もいたので、途中何度もパイロン設定が変わりました。


ここもほとんどまともに走れなかったのですが、ここを走っていて思い出したことは、自分からハンドルを切るということ。


ターン前の短い直線でアクセルがあけられない、それは今の段階では仕方ない。400のローギアで、繊細なアクセルワークができないからこそふっとんだ私が思い切って傾けてリアブレーキを踏みながらアクセルを開けるとかそういったことができるわけもない。


回転数が落ち行くまま、バイクのハンドルが自然に切れるのにまかせて、リアタイヤの向きがかわるのと失速に車体がたえきれずに自分の足で支えなくてはならなくなるのとどっちが早いかただじっとなすすべなくシートの上で待っている・・・そんなときは最後にガツンと自分でハンドルを切ればいい、と突然思い出しました。ハンドルを切ると向きも変わるし車体もおきる。


まだまだ上半身の力だけでむりやりハンドルをきっていて、ブレーキも使っていなければバイクを傾けてもいない、桶赤の方々が見ていて怖くなる、というほど平気で芝生に侵入していく無謀なラインどり、でも少なくともこのコースを走ってハンドルを自分から切ることを思い出したのは収穫でした。


そして最後のオフセット・直スラのコンビネーションセクション。苦手な直スラは、オフセットの間にちょこちょこ入っているのでそこだけ2速にあげるのもナンセンス、と思い1速で、ただ頭を上下させないように考えて走りました。以前は2速だとタイミングよくステップを踏んでバイクを傾けることができるのに、1速だと前後のGを吸収するだけで手一杯になりバイクを傾けることができなかったのですが、この日はうまくタイミングがあうと、前後Gを吸収するからだの動きと、ステップを踏んでバイクを傾ける動きが両方できることがあり、うれしかったです。走行が終わった後動画を見て、自分の直スラ走行が一目見て分かるものではなく、目を凝らしてみないと自分だとわからない、同じくらいの走行位置を走っていた他の人たちの直スラによい意味で紛れこめていたことは自信になりました。


また、長い直線のあるオフセットを走っていて次第に思い出してきたことは、フロントブレーキとリアブレーキを同じタイミング・同じ強さでかけないということ。これはふっとんで怪我した時の2回前くらいの講習で意識できるようになったことだったので、思い出せたことがうれしかったです。以前は、長い直線でスピードに乗った後のブレーキングで、フロントを握りこむとどうしても本能的に同じだけリアを踏み込んでしまってロックしてしまいうまくターンに入れなかったり、速度が落ちすぎて旋回の途中でリアブレーキを離さざるをえず、ターン出口でどんどんパイロンから離れていってしまうのが当たり前でした。


でも足と手を分けて考えることができるようになって、速度を落とすのはフロントブレーキ、旋回中に前後のバランスを保ってタイヤを地面に押し付けるようなイメージで軽く踏み続けるのがリアブレーキ、と頭で考えた役割分担をそのまま体に伝えることができるようになってからは、アクセルを戻してからエンブレで速度が落ちるのを待つことなくすぐにフロントブレーキをかけられるようになり、またしっかりリアタイヤが向きをかえるまで、失速ゴケを怖がらずにリアブレーキに触れ続けることができるようにありました。


バイクが倒れない、と本能的に感じられると現金なもので、今までよりも1テンポ早いタイミングで旋回内側のステップをぎゅっと踏み込んでターンのきっかけを作れるようになり、リアブレーキの最後とアクセルのあけはじめが重なると、あけた瞬間にガクンと飛び出すことがないので、「ここだ」と思った瞬間にアクセルが開けられるようになりました。というか雑なアクセルワークでふっとんだのに復帰したあとも同じようになんのリスクヘッジもせずにただバカの一つ覚えのようにアクセルを開けているというのが驚きですが。


またいつものようにだらだらとメリハリのない文章になりましたが、
最初のオーソドックスなコースでバイクの基本操作を思い出し、午後のきつめのコースでハンドルを切ることは怖くない、ということを思い出し、午後最後のコースでブレーキの掛け方を思い出し・・・と一通りの操作を思い出すことができて、最後は恐怖感も忘れて気持ちよく走ることができたので、やはりこの貸切を復帰緒戦?とさせていただけてシアワセものでした。


この日、怪我する前の感覚が思い出せずに終わったことは、視線を先に送ること(流し目じゃなくて頭を動かす)、とニーグリップです。言い訳するとヘルメットがほとんど顔の皮膚を覆わないジェッペルからフルフェイスになったことと、下半身がローライズジーンズとハイカットスニーカーから革パンとスポーツ用インナーパンツとブーツに変わったことが大きいと思います。ヘルメットは思っていたより重さは感じなかったのですが、ちょっとでも頭を動かすと直近のパイロンが視界から消えるので怖くてどうしても足元のパイロンを探してしまい、意識しても視線を先に送ることができませんでした。


革パンは、HYODのものなのですが長さも膝プロテクタの位置もぴったりではじめてはいたその瞬間から動きやすくて、革パンはなじむまでオリンピック選手養成ギプスをつけているように動けないものだろうと思っていた予想をおおいに良い方向に裏切ってくれました。しかし、汗で濡れた太ももに便座がはりつくような密着感をも想像していたのですがそれは悪いほうに裏切られ、ちゃんと自分の意思で膝を締めないと車体との一体感がありません。むしろジーンズ一枚だった時に比べて車体との間に何重もの壁があるのと、靴も新しいものにしてステップの上での足の位置が決まっていないことから、終始ふわふわしているかんじでした。


特に下半身は、以前CB400に乗ったあとは、車体のある部品が脛に当たって毎回かなり派手なあざを作っていたのですが、その箇所が触れている感覚すらなく、とても不安定でした。新コースの外周や定常円を走っている間は常に落ち着きなくステップの上で足の位置を探していたくらいです。以前は足を乗せる位置が決まっていて、その場でごく自然にスキーのプルークボーゲンのように足の親指とかかとを結ぶ線にぎゅっと力を入れてくるぶしで車体をホールドしていた記憶があるのですが(もちろん走っている当時は思い出さず、今振り返って思い出したことです)その感覚もまったくありませんでした。どちらかというとパンツよりはブーツの変更のほうが影響が大きいのかもしれません。


結局この日記を書いている時点で、この貸切のあと3回HMSに行ったのですが、今現在でも頭を動かすことと下半身の位置を決めることは出来ていないので、これはギアへの慣れに加えて、強く意識しないといつまでたってもなおらなさそうな気がします。


そんなかんじで最初は痛かったり怖かったり悔しかったり、ネガティブな感じでしたが、終わってみればとても楽しい一日となりました。ありがとうございました。


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